せらみゅ〜の魅力、または……
 ●このページは思いつくままに、せらみゅ〜についてダラダラ書くページです。
あの衣装とカツラはなんとかならんのか(第一印象)
 いい大人と世間から見なされる年格好をしていると、「セーラームーンミュージカル」を観に行きます、というのはなかなか周囲から理解されがたいことに属するのではないかと思われますが、そもそもそういった反応の過半は、セーラームーンをあまりよく知らない人によるものでありましょう。確かに、「セーラー服美少女戦士」というネーミングは、常識的に考えてロクなもんではありません。とくに、ある一定以上の年齢のおっさんにとっては、ほとんど日活ロマンポルノの世界として認識されるようなことも無きにしもあらず、でありましょう。
 しかし、「少女まんが」を原作とする「ミュージカル」と考えれば、それほど奇異なものではなく、あの超有名作「ベルサイユのばら」と、どう違うというのでしょうか?(ちがうって)

 一方、「セーラームーン」をよく知っている人たちからも、時として冷たい反応が来る場合があるですよ。その非難の的となるのは、やはりあの衣装とカツラなのではないかと思うわけです。かく言うワタクシの、ミュージカルをやるという告知を見たときの反応が……

 ・この衣装の解釈は間違ってる
 ・このカツラはいったいなんだ?
 ・なんで少女まんがの人は自作をミュージカルにしたがるのだ?

というようなものだったので、これはまあ無理からんところかな、と正直思います。

 セーラーの肩の部分が立っていたり、ラメが散っていたりと、とにかく派手だし、初期のカツラは、まるで毛糸やビニールひもな感じだったりで、正直こりゃちょっとなあ、と思っていたのでありまするが……

 これが舞台の上だと映えるですよ。


というか、劇場でアニメ版のコスプレをしてる方々ってのがときどきいらっしゃるのですが、アニメ版のデザインのまま舞台に出ると、こりゃちょっとダメダメかも知れない。

 あと、これはついでの話ではありますが、「ドラクル」シリーズになって、私服の衣装が「こんなださい服着るもんか」状態を脱却したのは喜ばしいことかも知れません。(アルパとのタイアップというのが泣けるけど(笑))
せらみゅ〜の魅力は「恥ずかしさ」だ
 アニメのセーラームーンを初めて見たとき、変身シーンのかっこよさと、そのあまりのベタベタな決め台詞には本当にドキドキしました。で、このドキドキについて考えると、どうもそれは「恥ずかしさ」に原因があるように思えるのですよ。
 このことを確信したのは、後年「愛天使伝説ウェディングピーチ」という、こりゃもう恥ずかしさということにおいては神をも恐れぬ番組を見たときだったのですが、その恥ずかしさによるドキドキ感が、人を酔わせるのですなあ。
 せらみゅ〜を見ていると、ずいぶんドキドキさせられることが多いのですが、その中のある一定の部分は、「恥ずかしさ」に由来すると言ってもよいのではないか、というのが最近のワタシの考えです。
せらみゅ〜はキャラクターミュージカルである
 改めて気張って言うことでもないのですが、セーラムーンミュージカルは、武内直子女史による少女まんが「美少女戦士セーラームーン」を原作としています。原作が終わって5年も経とうかという今日、ミュージカルのストーリーは原作にないものが続きましたが、原作(+アニメ)でえがかれた魅力的な登場人物によって支えられている事実に変わりはありません。
 冷静な目で見ると、実にばかばかしいネーミングだったり色分けだったり髪型だったりする(というあたりもかなり恥ずかしさに貢献してるんだなあ)のですが、ある公演で白衣姿の冥王せつなが登場したとき、後ろのほうから「プーだ、プーだよ」という子供の声が聞こえて、この記号化は実はすごいっと思わされたのでありました。
 せらみゅ〜の強いところは、キャラクターのファンがはっきりいて、キャストが変わってもやっぱり見に行くという現象が見られるところにもあるのではないでしょうか。

 ただ、「ドラクル」シリーズの脚本家は、まったく原作がわかっていないというか、キャラクターの解釈ができていないところがあって、記号頼りだったのは感心しません。とくに、ワタクシの周辺で評判が悪いのは、

 ・うさぎちゃんが「殺してやる〜」と言ってはいけないだろう
 ・みちるがはるかに「振り向いて、私だよ。私だよぅ。」って言ってはいかんだろう
 ・亜美ちゃんがキレてはいかんだろう

というあたりでしょうか。キャラクターミュージカルとしての基本を逸脱してはいかんでしょう、やっぱり。約束された範囲で、十分魅力的な話は書けると思うのですが……
 というかさあ、セーラムーンの基本は水戸黄門(あるいは聖闘士星矢(笑))なのに、それをわかってない脚本家があかんのよなあ、やっぱし。
せらみゅ〜の魅力は美しい脚だ
 オーディションの基準が、「脚の美しさ」だと聞いたことがあるので一応書いてみますが、衣装のスカートの腰位置とか、基本的に脚を長く美しく見せることには神経が使われていると言えましょう。(そのぶん、腰が太く見えてしまうのだけど)

これで脚の長さが15cm稼げます
 
 人から聞いた話ですが、あんまり前のほうに座ると、スカートの中が見えて、目のやり場に困るのだそうです。(って、ぱんつが見えるわけではないんですが)ほらほら、「恥ずかしさ」は魅力の基本なんですよ。
 でも、どっちかと言うと、せらみゅ〜のかっこよさは、手袋によると思うな、ぼくは。
 というのも、まれにキャストが手袋を忘れて舞台に出てくることがあるんですが、これ根限りかっこ悪いのですよ。
せらみゅ〜はアイドル歌謡ショーか?
 そもそも始まりがさくらっ子クラブさくら組(+1)によるセーラー戦士だったくらいで、月水火木金はアイドル、またはプレアイドルがキャスティングされるケースが多いようです。
 したがって、お客さんにもその手の追っかけらしき人がいないわけではありません。アイドル傾向がもっとも強かったのは「新・伝説光臨」で、このときは基本的にルックス重視(いや、ワタシのツボには来なかったけれども)のキャスティングだったように思いますが、その結果たるや本当に悲惨なもので、とにかく踊れない……。アイドル歌謡ショー以下のシロモノでございました。今はサンシャイン劇場ではロビーに花を贈るのは禁止されていますが、この公演のとき、「三瓶あさみメーリングリスト」から花が贈られていたのには、ちょっと驚きました。(というか、それまで三瓶あさみなどというアイドルは、まったく知らなかったのよ)

 でも、セーラームーンのキャスティングとか見ていると、本当に実に魅力的な女の子を連れて来てますわなあ。

 アイドル歌謡ショーでもいいじゃん。
せらみゅ〜の魅力はなんと言ってもキャストよ
 恥ずかしながら、わがせらみゅ〜史を振り返ってみて改めて気がついたのですが(とくに「ドラクル」シリーズの脚本がこれ以上ないくらいダメダメのダメダメだったのでクローズアップされてしまったというところは否定できませんが)、結局お気に入りのキャストができて通ってしまうということに心当たりのある人も多いことでありましょう。
 ぼく的には、その系譜は

 森野文子→(宮沢あき子)→原 史奈→神戸みゆき→(神田恵里)→冨岡真理央

だったのでありまするが、後でビデオ見てると「なんだ、赤嶺寿乃っていいぢゃん」とか、「細田阿也むっちゃえーやん」とか、いろんな発見があります。脚本がダメなシリーズほど、キャストのがんばりが映えますですなー。(いいのか、それで)
せらみゅ〜の魅力は大人チームかも
 大人チームは、なんとなくアイドル(&プレアイドル)のみなさんといっしょに「キャスト」としてくくってまずいような気がしているのですが、中途半端なアイドル系のみなさんと別次元のところで実力・魅力ともず抜けた方々がキャスティングされるのがせらみゅ〜の大人チームと言えるでしょう。
 永遠伝説の火球皇妃(原作では皇女なんだけどナー)は本当にすごかったし、かぐや島、ドラクルシリーズのラストと敵方は実に素晴らしかった。ほんとにアイドル歌謡ショーにこんな人が出ていいのか状態ですわ。
 大人チームのことを思うと、食わず嫌いの人も一回だまされて観に行ってほしいと思いますね。最近の脚本は腐ってますが、毛唐に魂を売り渡した劇団●季だけがミュージカルぢゃないっすよ、まぢで。(今気づいたのだけど、ATOK14は毛唐とよう変換しませんどした。差別語だからってそういうことをするのが正しいのかどうか)
せらみゅ〜の魅力はその音楽だ
 こんなページをのぞきに来るほどすでにダメになっている人(笑)に今さら言ってもしかたありませんが、セーラムーンミュージカルをセーラームーンミュージカルたらしめ、キャストが入れ替わってもまた劇場に足を運ぶ人が多いのは、小坂明子先生による楽曲によるところが大きいと言えましょう。
 アニメ版の音楽も、こりゃとにかくかっこよいのですが、冬杜先生の歌詞による歌モノの魅力はまさにせらみゅ〜の屋台骨。毎回毎回素晴らしい曲を生み出される小坂先生の頭の中はいったいどうなってるんでげしょう。
 神戸みゆき、冨岡真理央がいなくなる次の公演ですが、ぼくはたぶん見に行きます。でも、小坂先生が降板したらわからないなあ……というくらいポイント大きいです。っていうか、ミュージカルなんだから音楽がよくないといけないのは当たり前か(笑)。(この項まで、2001春公演直後に書いています)
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